矢作直樹が語る 国際政治では歴史は政治手段である①

2019年8月29日

矢作直樹が語るシリーズ、第5回目です。

この回ではですね、国際政治では歴史は政治手段であるということを述べさせていただきます。

歴史家のアーノルド・トインビーが「人は歴史を学ぶ、しかし歴史からは何も学ばない」と言ったのは至言だと思います。

どうも今に始まったことではなく、また日本人だけの事でもないでしょう。

しかしながら、やはり歴史から学ばないと悲劇は繰り返されてしまいますし、また大切なものは失われてしまうこともあります。

ここで注意がいるのは、歴史から学び、その時「もしこうしていたらどうなっていただろう?」という後ろ向きの仮定ではなく、これからどうするかを考えるという前向きの思考が重要です。

また特に重要なのは、国際政治においては歴史はあくまでも政治の延長であるということです。

つまり、歴史は事実でなく、あくまでも政治の手段として使われる、ということです。

これは、私ども皆、肝に銘じておかなくてはいけないことだと考えます。

つまり、私たち自身は、歴史の真実を知ることで、自存自衛のための確固とした考えを持つことは大切です。

また、不確かな歴史認識のままでは、他国の人たちに対して不用意な発言をしてしまったりして、国益を失いかねないことになります。

ということで、まず歴史認識を正しくすることは大変大切です。

これらのことを踏まえ、ここでは、

①世界を動かす国際銀行家の存在

②明治維新~第二次世界大戦まですべて国際銀行家の影響をうけたこと

③米国GHQの占領政策による日本国民の思想的骨抜き

④戦後教育における次世代の思想的骨抜き

この4点に絞り込み、国際銀行家およびその影響の大きい米国により、日本人が天皇陛下の存在を忘れてしまった背景を見ていきたいと思います。

ただし、話の要点を記憶に残りやすいようにするためにまず、③と④について先にお話させていただきます。

まず、米国の占領管理ですが、第二次大戦後の米国の占領政策の目的は、昭和20年9月21日付けの「降伏後における米国初期対日方針」にですね、日本国が再び米国の脅威となり、また世界の平和及び安全の脅威とならないことを確実にすること、と明記されています。

で、この米国初期対日方針は、昭和20年6月11日ですね、国務省が国務・陸軍・海軍調整委員会ですね、これ頭文字をとってSWNCC、発音はスウィンクと言われてますが、昭和19年12月に設立されたこのスウィンクに提出した“対日政策基本文書スウィンク150号”をもとに、日本の統治機構を通じて間接統治を行うこと、連合国で意見が割れた場合に米国が優先して統治すること、が明記されました。

なお、このGHQのスタッフによる日本占領政策立案に影響を与えたといわれる、当時の英知を集めた主戦略情報局、これはCIAの前身となりますが、戦略情報局~オフィスストラテジックサービスです。

略してOSS、発音はオスって言ってるそうですけれども。

この作成による日本計画がすでにですね、天皇制の存続と、戦後の日本の資本主義再建による繁栄、という二本柱の方向性を示していました。

昭和20年8月14日、連合国軍最高司令官に任命され、日本の占領管理の全権を付与されたたマッカーサーの指揮する連合国軍最高司令官総司令部GHQは、ポツダム宣言受諾と降伏文書という特別法をハーグ陸戦条約という一般法に優先させ、日本の憲法をはじめ様々な政治・経済・社会制度、さらにはこれらの制度や組織を支えた日本人の精神的文化的側面にまで踏み込み、いわゆる日本人の精神的武装解除と呼ばれた大変革を行いました。

国体、いわゆる国の形、とはつまるところ、その国民の精神性の在り様ですね、彼らはそのことを実によく理解していました。

このようなハーグ条約でいう、交戦中の一般占領や、第一次大戦後のライン、ライナ川ですね、ライン左岸の保障占領などとも異なる、今までにない占領形態を占領管理と呼びました。

なお、米国極東軍司令官だったマッカーサーは、第二次大戦がはじまり駐屯地フィリピンのマニラでですね、日本軍の猛攻撃を受けて、ルーズベルト大統領の命令により、部下を残して幕僚たちとともにオーストラリアに脱出しました。

かっこ悪いですね。

それまでに順風満帆だったうえに、もともと人種差別的意識の強かったマッカーサーにとって、この逃亡は大きな屈辱となりました。

また、このGHQの主要メンバーは、このフィリピンにおける部下たちで、彼らも日本人への敵愾心を抱いていました。

さらに、このメンバーの中の有力者は、先ほど申し上げたOSS(オス)、戦略情報局の隠れ社会主義者でした。

占領管理の一環として昭和20年11月、マッカーサーは秀原喜重郎首相に五大改革指令を命じました。

すなわち

  1. 婦人解放
  2. 労働組合の助長
  3. 教育の自由化・民主化
  4. 秘密的弾圧機構の廃止
  5. 経済機構の民主化

です。

ところがですね、GHQによる日本の占領政策の本当の狙いは、安岡正篤さんによると以下のような意図があったそうです。

それは、基本原則である3R、重点的施策である5D、そして補助政策としての3Sです。

この政策を策定したことを、GHQのガーディナー参事官から、安岡さんは直接聞いたという風に伝わっています。

今申し上げた3Rですが、

リベンジ・・・復讐ですね。

多大な犠牲を強いられた日本に対する復讐です。

そしてリフォーム・・・階層ですね。

これは日本の仕組みを作り替えていくこと。

そしてリバイブ・・・復活ですね。

これは独立を許して西側社会に入れるということですね。

そしてまた、5つのD。

ディスアーマメント・・・武装解除

ディミリタリゼーション・・・軍国主義の排除

ディスインダストリアライゼーション・・・工業力の破壊

デセントライゼーション・・・中心勢力となった行政組織や財閥の解体

デモクラリゼーション・・・民主化

日本の国体を変えて、米国的な民主化をすることです。

これは先にも触れたように、日本的民主主義を民主主義と認めていないということです。

そして、最後の3Sは、セックス・スクリーン・スポーツですね。

こういうことを通じて、日本人の精神的骨抜きをしていこうとしたわけです。

では次にですね、GHQが行った具体的な政策についてみてみます。

少し細かいですが、日本人がですね、GHQの緻密な戦略をもとにどのように骨抜きにされていったかがわかると思います。

まず最初に思想工作です。

今の日本人の考え方に最も大きな影響を及ぼしたものとして、GHQによる思想工作があります。

この思想工作はですね、GHQがですね最優先に考えたことです。

戦争中の昭和20年4月20日に、Basic Plan for Civil Censorship in Japan、「日本における民間検閲基本計画」が策定されました。

これは、言論統制と宣伝工作によって行われました。

なお、前者に関しては、9月1日戦艦ミズーリの艦上でですね、降伏文書調印の前日に民間検閲支帯の先遣隊が横浜に到着したことはあまり知られていないのではないでしょうか。

そもそもこの思想工作こそは、ポツダム宣言第10項、言論・宗教・および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せられるべし、という項目に違反するものであります。

したがって、占領期間中を通じて、GHQの検閲機関の存在は秘匿され続けました。

民間検閲支帯、略してCCD、による検閲と、民間情報教育局、略してCIEですね、による宣伝の相乗効果を発揮し、戦前の日本人の歴史的道徳観は変えられていきました。

まさに米国は、第二次世界大戦後に続いた見えない戦争、思想と文化の殲滅戦に勝利したわけです。

@AJER2016.10.26