矢作直樹が語る 天皇の国②

2019年8月6日

矢作直樹が語るシリーズ、第2回目です。★★★

天皇陛下の国を思う気持ちと激務についてお話させていただきます。

まず、福島第一原発事故と天皇陛下についてお話させていただきます。

想像力をなくした時に危機は生じます。

国内の学者、一部の国会議員、自衛隊、合衆国政府など、多方面から日本国政府に対して原発の危険性は再三再四、注意喚起されておりました。

にもかかわらず、これらの諫言は無視され続けました。

そんな中で、あの福島の事故が起こりました。

そして、その後の対応のまずさがありました。

国際的にも国内的にも、ある意味では日本という国に対する諦めが広がったのではないでしょうか。

そんな中、天皇陛下は平成23年3月16日に玉音放送を、そしてその後は被災地へのご行幸を命がけでなされました。

天皇陛下のなされたこの3月16日の玉音放送の国際的な影響の大きさから、私は今日、日本国民として天皇陛下のご存在の有難さを痛感致しております。

もし3月16日に玉音放送を賜っていなかったらば、この時点で福島第一原発の状況に関する正確な情報をもっていなかった米国政府は、即応できなかったことでしょう。

そうなれば、福島第一原発の危機的状況は収束することがなかった可能性があります。

東京から北、日本の半分が、人々が安全に住めないところになってしまったかもしれません。

残念ながら多くの日本人はこのことを意識していないように思います。

両陛下は3月15日から、翌日夕方に予定されていた玉音放送をご準備なされていたと伺いました。

3月12日から3月15日にかけて、原発の稼働中だった1号機から3号機までと燃料プールに使用済燃料を置いていた4号機が全て爆発を起こし、いよいよ危機的状況になりました。

このままでは、4号機の使用済核燃料の損傷により、東日本全域が真剣に非難を考えないといけない状況が生じえたのです。

それは、4号機の使用済核燃料を大量に貯蔵されている燃料プールが、この近辺での爆発により損傷して水が干上がったり、あるいは燃料プールが損傷したりすれば、それにより使用済核燃料が落下するなどしてその表面の被覆が損傷する恐れがありました。

そうしますと、大量の放射性物質が空気中に飛散してこれは大変なことになるわけです。

そこで誠に僭越ながら、3月16日朝、私が宮内庁関係者に連絡を入れさせていただきました。

そうしたところ、原発の危機的状況に関しては、政府など関係機関から陛下へは一切情報が伝わっていなかったということであります。

このことに大きな問題を感じました。

3月16日夕方、天皇陛下は東日本大震災で被災された方々をはじめとする国民に向けて、ビデオを通じてお言葉を述べられました。

日本国民が玉音放送を拝するのは、昭和20年8月15日の昭和天皇の終戦の詔を拝して以来であります。

とはいえ私も、これは言葉にできないほど大変なことだと思う一方で、このお言葉が世界にどれほどの具体的な影響を及ぼすかに関してはまだ想像ができておりませんでした。

天皇皇后両陛下は、一日かけてこのお言葉の文案をご自分たちでお考えになられたとのことです。

両陛下はしかるべきルートから情報を入手されたのではなく、ご自身たちの状況判断でご裁断なされたというふうにあとで伺いました。

これ以前でも以後でもない絶妙なタイミングでのお言葉に、私は言葉にできない驚きと感動に打たれました。

なお、平成5年の北海道南西沖地震のお見舞いに皇后陛下と共に奥尻島を訪れ津波の恐ろしさを実感された天皇陛下は、平成17年1月18日に神戸で開かれた国連防災世界会議開会式において、津波災害に触れられ以下のようなお言葉を述べられています。

日本で記録に残る大きな津波は、1896年の明治三陸地震津波で死者は二万人に達しました。

その後1933年にふたたび三陸地震津波が同じ地域を襲い、その時も死者・行方不明者がほぼ三千人に達しました。

この二回の津波の間にはほぼ40年の開きがありますが、二度目の災害の発生にあたり地震後の津波の襲来に対する警戒心が人々の間に十分でなく、このことが被害の増大を招いたことが知られています。

このような例を考えるとき、防災の上で最も大切なことは、過去の災害から教訓を引き出し、それに対していかに対応するかということだと思います。

昨日この地で行われた阪神淡路大震災10周年の集いにおいて発表された1.17宣言は、“忘れない”をテーマとしています。

現在、神戸市の人口の四分一が震災の経験のない人々だということを聞き、このテーマの重要性を感じました。

このように天皇陛下はお述べになっています。

さて、話を玉音放送に戻せば、米国国務省日本部長のケヴィン・メア氏は

「災害に際して天皇陛下がテレビに登場しお言葉を伝えられるのは、前例がないことでした。陛下のお言葉ほど日本が直面している危機の深さをはっきりと知らせてくれるものはなかったのです。」

と述べています。

さらに、米政府の菅政権に対する不信感は強烈と言ってよいものでした。

アメリカ政府は16日、藤崎一郎駐米大使を国務省に呼び、日本政府が総力を挙げて原発事故に対応するよう異例の注文をつけていました。

と、この陛下の玉音放送をてことして日本政府に働きかけました。

私は3月17日に再度宮内庁関係者に連絡を入れさせていただいたところ、天皇陛下は東京を動かれないと仰っているということを承り、これで日本は救われたと思いました。

本当に言葉にできないほどありがたいことでありました。

同じようなことが、先の大戦中にもあったと聞いています。

戦局がいよいよ深刻化してきた昭和19年7月、軍部の間で御座所と大本営を長野県松塩に移転する意向を、小磯國昭首相を通じて昭和天皇にご相談申し上げたところ、陛下は「自分が帝都を離れれば国民に不安感と敗北感を抱かせる恐れがある」と反対されました。

さらに、昭和20年5月梅津美治郎参謀総長が松代の新大本営の工事完成報告とご移動の要請をされたところ、天皇陛下は「私は国民と一緒にここで苦痛を分け合う」と言われたそうです。

その後、天皇皇后両陛下の被災地へのご行幸がどれほど現地の方々の心を安堵したことでしょうか。

おそらくこれは、???菅直人首相だけでなく、他のどんな人が首相となって行ったとしても到底代わりになるものではなかったと思います。

被災地で凍える子供、不安げな老人の横で、宇宙服のような議員がいくど安全だと繰り返すよりも、平服で膝を折り被災者を同じ目線でお話なされた天皇陛下のお言葉のほうが、はるかに人々の心に染み入ったことと拝察いたします。

テレビで拝見した両陛下でご行幸に回られた被災地にピンが立てられた日本地図を前に、とても慈愛に満ちられた両陛下のお顔に被災者への深い慈しみを感じさせられました。

当時77歳であられた天皇陛下は、被災地の方々の身を深くご案じなされ、身を粉にされて7週連続で被災地にご行幸されました。

そのお疲れもあってかその年の秋に体調を崩され、当院に入院なされました。

その際のご入院を拝し、天皇陛下のご心労いかばかりかと思い一国民として誠に痛み入った次第です。

天皇陛下のご悲願についてです。

官報を見ると術後にもかかわらず、お仕事をお続けになっていらっしゃいます。

天皇陛下は例年、3600件もの功労者・死亡者に栄典を授与されています。

東日本大震災によってさらに増えていることでしょう。

これは、国事行為であり、誰にも代理はできません。

そもそも皇室典範には、即位の条件はあっても退位の条件は明記されていません。

術後であろうとも天皇陛下しかできないことなのであります。

陛下は平成23年秋に気管支炎でご入院なされたわけですが、身体的な疲労度から考えて平成24年の3月11日の1周期のとき、あるいは同じ時期にあった英国エリザベス女王の戴冠60周年記念行事にご出席なさろうとするお気持ちの強さに、深く感動させられました。

そのお身体でどうしてそこまでできるのか本当に不思議でした。

もちろん理由は明らかです。

震災の1周期は言うまでもありませんが、エリザベス女王の戴冠に関しては、エリザベス女王の即位式と60周年の式の両方に出られた方というのは、天皇陛下以外にはお一人しかいらっしゃらなかったのだそうです。

本日は、ここまでとさせていただきます。

@AJER2016.9.28


編集後記

文中???の部分は、どうしても聞き取りができませんでした。

皆さんのご想像にお任せします(笑)

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私は、東北の震災の際は関西に住んでいました。

放射能漏れ事故のマニュアルがなかったという東電の発表に、耳を疑ったことを覚えています。

地震の多い日本に、多くの原発を立てさせたのはアメリカです。

日本から原発がなくなることを祈るばかりです。