古事記に学ぶ25の経営学 第一部①前半

2019年8月6日

ねずさん(小名木善行氏)の“取り戻す日のカタチ”シリーズ内の特別番組です。

全12本の動画で、今日の記事は第1回目です。

古事記に学ぶ25の経営学っていうのは、実は本にしようかと思っていたことでして。

古事記っていう切り口で入っていくよりも、むしろ生活に密着した経営学みたいな形でやっていくほうが、もしかしたら本も売れるのではないかといったこともですね(笑)

計画だけはあったんですが、いまだに実現できていない部分であります。

古事記そのものを語るのではなく、古事記を通じて経営を学んでいくという取り組みなんですけれども。

実は古事記自体がですね、そもそもそういう目的で書かれたものだというふうに、古事記の序文にかいてあります。

会社を経営するんではなく、古事記の場合は国家の経営ということになるんですけれども、国家を経営するにあたって必要なこととは何か。

また、他国との間で摩擦が起こった場合、つまり取引先等の間などで摩擦が起こった場合にどのように対処したらいいのか。

また、国家あるいは組織を長く維持するためにはどうしたらいいのか。

世界にも珍しく、日本には千年以上続く企業っていうのがいまだにありますよね。

400年以上、200年以上、100年以上っていうのは世界中結構あるんですけれども。

400年以上続いている会社っていうのは殆ど世界にも例がない。

ところが、日本という国には五万とあるという、そういう状況があるわけでして。

長持ちしてきたっていうのは、長持ちする理由があったわけですよね。

会社ですから、当然儲けなければならない。

自分たちの技術をもって、どこよりもちゃんと利益を上げることができる。

多くの人々に喜んでいただくことができるという仕組みを作ってきたというのは、まぁ当然の事としてあるわけでして。

それプラス何かですね。

そこの中に大きな秘訣があるのではないかといったようなことも、実は古事記の中に書いてある。

昔の人はですね、こういうことを何と呼んだかというと・・

たとえば、江戸時代のお大名さんたちがですね、大名家の経営学なんていう、そういう書っていうのは一切出てないんですね。

大名家を維持する。

大名家だってやっぱり組織じゃないですか。

あるいは商家が我が家の商売を維持してくにあたって、商売学。

一応、石田梅岩の「石門心学」という商人道という商人の道は示したことがありますけど、商売を行っていく、お家そのものを維持していく、それにあたって必要なことを経営学っていう名前では呼んでないですよね。

では、なんと呼んだんでしょうか。

これが実は、兵法なんです。

兵法学っていうのは戦いに勝つためのものではなくて、組織を維持し、管理し、そしてまた、組織をより強靭なものにしていくにあたって、必要なことを兵法という形でまとめたもの。

つまり人材を育成し、人材を使いこなし、そして人材とともにお家を反映させていく、どこにも負けないものを築き上げていくという、このための学問が実は兵法学であったわけです。

兵法学と聞きますと、現代人の我々は、すぐに思い浮かぶのは孫子の“兵法”ということになると思うんですけれども。

孫子の兵法というのは、孫子が生まれた中国大陸で通用する兵法であって、それがそのまんま世界で通用するとか、あるいは日本という国の社会の中で通用するとかいくことでは、実はない。

兵法というのは、それぞれの国や民族ごとに、民族の歴史・文化・伝統といったようなものを持っているわけでして。

その国の人々に最も合った形で展開しなければ、要するにその、イギリスで成功している企業がある、あるいはアメリカで成功している企業があるからと言って、アメリカのシステムを丸ごとそのまんま日本に持ち込んで、我が家、うちの会社の商売そのまま採用しようと思ったところでうまくいかないわけですよね。

必ずどこかで破綻してしまう。

なぜかといえば、現実・現場というものとリンクしていないから、ということになるのかと思います。

兵法っていうのは、そういう意味で、我が国の歴史・伝統・文化に最ものっとった形のもののことを学んでいくという学問体系であったわけでして。

これの実はおおもとになっているものが、今日お話しする古事記であるわけです。

いにしえ、昔、古いというのは古(いにしえ)ですよね、古い。

古(いにしえ)を顧みて、わが身を正し、これからの道を探っていこうという。

そういうことを目的として、そもそも古事記っていうのは書かれている。

これはもう序文にそういう目的で書いたって書いてあるわけでして。

古事記が生まれた時代っていうのは、まさにその8世紀の初めになりますけれども、中国に唐っていう国が出来て、その前に隋ができるんですね。

隋ができるまで・・・

ちなみに、中国の国名で隋っていう国、一番最初に中国を統一したのは秦の始皇帝の時代ですけども、そのあとに前漢、後漢が生まれて、で、前漢・後漢の後に凄い戦国時代になってくるんですよね。

でもう国が荒れて、諸国が乱立してですね、要するに軍閥が、まさに群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)という状況になって国が荒れていて、全くよその国に出ていく力がなかった。

それが、隋っていう国が登場して、この隋が中国全土を統一して、強大な軍事国家となっていくんで。

で、この時に日本が派遣したのが遣隋使になりますよね。

ところが、その隋はですね、高句麗との戦で国家が疲弊しまして、あっという間に、非常に短期間で滅んでしまうんです。

滅んだ後に出来上がった国が、唐。

唐の都の唐。

唐の長安とかの唐ですね。

この実は隋という漢字はですね、謝肉祭ということを意味する漢字でして、要するに肉を食う人たちを意味します。

つまり、隋を築いた人たちは遊牧民だということですね。

それから、唐っていう国の国名なんですけど、唐は大きな口に手を添えて食べ物を口に運ぶということの、簡易象形文字になっています。

ということは、やっぱり肉を食うという人たち、これもまた外来王朝。

つまり、中国に隋という外来王朝ができあがり、そしてまたそれが滅んだと思ったら今度は唐という外来王朝ができあがり。

唐が唐のままでいるんならどうってことなかったんですけども、唐が新羅と結んで。

要するに隋がですね、高句麗との戦いで疲弊して隋が倒れて、新しく出来上がった政権が唐であったわけですね。

唐も、高句麗との戦いで敗れてしまったら、唐は自分の国が滅んでしまう。

これだって、隋がそうだったわけですから。

そうならないためにどうしたかと言いますと、高句麗の向こう側にある・・・

ここで、当時の、唐・高句麗・新羅・百済と倭国の位置関係の図を描く

あの、国境なんてものなかった時代です。

今、社会科の歴史地図なんかを見ると、この辺に国境があってどうのこうのってなってますけども、この時代ってのは国境なんて面倒なものはないんですね。

要するに、この辺に唐があって、この辺に高句麗という???があって、で、この辺に新羅があって、ここに百済があって、で、こっち側に倭国があったんでね。

そういうふうな環境であったわけですけども、隋が高句麗との戦いで滅んでしまった。

そのあとに外来王朝として成立した唐は、高句麗の脅威を防ぐために何をするかというと、高句麗の向こう側にある新羅と手を組んだ、手を握る。

そうすることによって、高句麗を挟み撃ちにして倒してしまおうと。

そういう戦略を講じたんですね。

ところが、当時、百済も新羅も倭国に朝貢してました。

つまり、倭国の属国でした。

倭国の属国でしたから、百済はあくまでも倭国と仲良くしていきたいという選択をするわけです。

ところが新羅は「お前の国はわしんとこと仲良くして一緒に高句麗を責めるのを手伝ってくれたらこの辺一体全部おめえんとこにあげるぜ」っていう話で、フラフラとその気になってしまって。

で、新羅が百済を責めます。

で、百済を滅ぼしちゃいます。

この時に、百済の王朝にいました大勢の武官たちが、崖から身投げをして亡くなったという悲しい伝説も残ってます。

で、新羅が百済をとってしまう。

で、百済の皇太子でありました豊璋(ほうしょう)王というのが、倭国に人質としていたんですけど。

人質ってか留学ですよね、していたんで。

この豊璋王がどうしても百済を復活したいという話になって、倭国と百済の残党とが、もう一回朝鮮半島に進出しようということで戦いを起こします。

で、この戦い3年ほど続きまして最後、白村江で大敗をして、最終的に日本は、朝鮮半島との間に国境を引いてもう海の向こうの国とはお付き合いしませんと、そういうふうな歴史があるわけですよね。

このような状況の中で、唐が新羅と結んで、この時にもの凄い数の大軍を倭国との戦いのために送り込んでくる。

それだけの軍隊を数を動員し、かつ将軍の命令一下、整然とした動き方をする。

倭国の軍隊というのは当時諸国の豪族の寄せ集め、寄り合い所帯ですから、大将が「すすめー」と言ったって「わしゃ知らんよ~今日は雨だから行くのはや~だ」って言われたら、それで終わりなんです。

ところが唐の国の軍隊っていうのは、きわめて厳格に規律正しく全体が・・・

今の我々の感覚からしたら、とんでもないバラバラの状態であろうかと思うんですけれども、倭国の軍隊と比べるとはるかに整然とした動きをしている。

つまり、国家としての統一性がとれている。

その、外国の脅威に対して、日本が、つまり倭国が、外国の持っている様々な良いところを取り入れて日本を改良しようと、日本をもっと強くしようということで始まったのが、三つあります。

@AJER2019.5.6

編集後記

いつものことですが、???の部分は想像してお読みください(笑)

お話を聞きながら、大昔に習った、高句麗・新羅・百済の事を思い出しました。

国名だけで、詳細諸々忘れてますが・・・

古事記から経営学なんて、ほんとに視点が変わると新たな発見ですよね。

チャンネルAJERの動画は勉強になります😊